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ロン・バス("Outlaw" Ron Bass、本名:Ronald Heard、1948年12月21日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。アーカンソー州ハリスバーグ出身。 現役選手時代はカウボーイ・スタイルの大型ヒールとして活躍。スタン・ハンセンのパートナーとなり、インターナショナル・タッグ王座に就いたことでも知られる(第30代王者)。 == 来歴 == アメリカンフットボール選手を経て、1972年にプロレスラーとしてデビュー〔。アラバマのNWAガルフ・コースト地区を主戦場に、フレッド、ボビー、ドンのバス・ブラザーズ(''The Bass Brothers'')の一員として悪名を馳せる〔。1976年にはダッチ・バスことダッチ・マンテルと組み、3月19日にリップ・タイラー&エディ・サリバンからガルフ・コースト・タッグ王座を奪取した。1976年よりカンザスシティのNWAセントラル・ステーツ地区に入り、翌1977年2月に全日本プロレスに初来日している。 帰国後は太平洋岸エリアで活動し、オレゴンでは1977年4月23日にジミー・スヌーカからパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を奪取。ロサンゼルスではロニー・メインやロディ・パイパーをパートナーに、1978年2月から4月にかけて、チャボ・ゲレロ&エル・ハルコンなどのチームを破ってアメリカス・タッグ王座を3回に渡り手にしている。同年下期からは地元ミッドサウスのNWAトライステート地区(後のMSWA)に参戦。12月25日にキラー・カール・コックスからブラスナックル王座を奪取し、翌1979年1月11日にはレイ・キャンディを破ってアーカンソー・ヘビー級王座も獲得した。 1979年下期より、ジェリー・ジャレットとジェリー・ローラーが主宰していたテネシー州メンフィスのCWAに登場。6月にロバート・フラー、7月にランディ・タイラーを破り、AWA南部ヘビー級王座を2回獲得している。CWAではドン・バスとバス兄弟を再結成し、1980年9月には当時テネシー地区との招聘ルートを持っていた国際プロレスにドンを帯同して来日。モンゴリアン・ストンパーが送り込んだ刺客という設定のもと、10月11日に越谷にてラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦した〔『忘れじの国際プロレス』P102(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583620802)〕。 1981年からはNWAの南部テリトリーを転戦。ジム・クロケット・ジュニア主宰のミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングではベビーフェイスのポジションに回り、TV王座を巡ってグレッグ・バレンタインやイワン・コロフと抗争。ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングではヒールに戻り、1982年3月15日にトミー・リッチからナショナル・ヘビー級王座を奪取している。 同年8月、NWAルートで全日本プロレスに再来日。以降、全日本の常連外国人となり、1983年4月12日に松山にて、スタン・ハンセンと組んでジャイアント馬場&ジャンボ鶴田を破り、インターナショナル・タッグ王座を獲得した〔。その後もブルーザー・ブロディ不在時のハンセンのタッグ・パートナーとして活躍〔『プロレスアルバム55 スーパー・タッグ Now!』P21(1985年、恒文社)〕。当時のハンセンとのコンビは、ラリアット・ライダーズ(''The Lariat Riders'')とも呼ばれた。 その間、本国アメリカでは1982年9月よりエディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダに進出。ベビーフェイスとしてビッグ・ジョン・スタッドやアブドーラ・ザ・ブッチャー、ボビー・ダンカン、アンジェロ・モスカらと抗争し、リック・フレアーが保持していたNWA世界ヘビー級王座にも度々挑戦。バリー・ウインダムともタッグを組んだが、やがてヒールターンしてブラック・バートとのカウボーイ・コンビ、ロング・ライダーズ(''The Long Riders'')を結成。J・J・ディロンをマネージャーに迎え、バリー・ウインダム&マイク・ロトンド、ダスティ・ローデス&ブラックジャック・マリガンなどのチームと抗争を繰り広げた。1983年7月20日のマイアミでの興行では、ニューヨークからフロリダに遠征してきたボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦している。 1984年にはマネージャーのディロンと共に、ロング・ライダーズとしてミッドアトランティック地区に参戦。NWAミッドアトランティック・タッグ王座の最後のチャンピオン・チームとなり、シングルではリッキー・スティムボートやバズ・タイラーと抗争したが、1985年下期にディロン&バートと仲間割れを起こしてチームを解散。以降は再びベビーフェイスとなり、11月28日開催のスターケードではディロン&バートを相手にテキサス・ブルロープ・マッチの2連戦を行った。 その後は古巣のフロリダを経て、1987年よりWWFに登場。ミッドカードに出場する中堅ヒールのポジションながら、サバイバー・シリーズではテネシー時代の盟友ジミー・ハートやホンキー・トンク・マンと結託した。1988年10月16日に開催されたキング・オブ・ザ・リングでは1回戦でザ・バーバリアン、2回戦でショーン・マイケルズを破り勝ち進んだが、準決勝の対戦相手だったテッド・デビアスに買収され決勝進出を譲っている。同年はブルータス・ビーフケーキとも抗争を展開し、1988年12月7日収録(1989年1月7日放送)のサタデー・ナイト・メイン・イベントで髪切りマッチによる決着戦が行われるも敗退。放送から1週間後のロイヤルランブルには丸刈りで出場した。 WWFとの契約終了後はインディー団体を転戦し、1991年に引退してフロリダ州タンパに居住。引退後もオールドタイマーによるリユニオン・イベントに登場してエキシビション・マッチを行っており、2005年1月29日にはラリー・ズビスコと組んでバリー・ウインダム&マイク・ロトンドと対戦。2012年3月31日にマイアミビーチで行われたプロレスリング・スーパースターズ主催の "Tribute To Championship Wrestling From Florida" では、メインイベントのタッグチーム・エリミネーション・マッチに出場している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロン・バス (プロレスラー)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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